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私が「孤独」にこだわるわけ ~なぜAQURASは面倒見の悪い塾であり続けるのか~

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ミュージシャン、映画監督、演出家として多岐にわたり活躍されている辻仁成さんの記事が先日取り上げられていました。~「みんなに愛されようとするから、君は疲れるんだよ」 作家・辻仁成が説く“孤独”のススメ~という内容は、個人的に興味津々でしたので熟読させてもらいましたので、皆さんにも今日はその一節をご紹介します↓

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■「孤独」と「孤立」は違う

――辻さんが考える「孤独」の「孤立」の違いは。

「孤独である」というのは、自分を大事に思って、ひとりの世界をきちんと持っている人ですね。だから「私は孤独です」っていうのは、すごくいいことだと思う。

「自己嫌悪」も、実は悪い言葉じゃなくて…。自分を批判するということは、自分をきちんと見ているっていうことなんですよ。

――「孤独」な人ほど、自分を客観視できてると。

「俺は駄目な人間だ」って思えることは、何も悪いことじゃない。自分の悪さを知っているのだから。

自己嫌悪に陥る人もいると思うけど、それは理想が高いのだと思う。それだけ志があるということじゃないかな。「孤独」も似ていて、自分の世界をきちんと持ってるからこそのひとり。

――では、「孤立」は?

「孤立」は、しっかりとした自分の世界を持っていない。社会の中で適応できず、他者の悪口を言ったり、周りから疎外されてしまう。それが「孤立」だと思う。

「孤独」は、自ら選んで「ひとり」であって、人とつるまずに自分の中の精神を極めていくということ。素晴らしいこと。

でも、「孤立」っていうのは違うんですよ。みんなに嫌われて孤立してるんですから。つらいんです。孤独はいいけど孤立は駄目だっていうのは、そういうことなんですよ。

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私の経験則というか持論なんですけど、社会で成功している方、リーダーとして大成されている方、結果を出し続ける方って、必ずといっていいぐらい「孤独」を経験しているはずです。

私も一匹狼で周囲と群れる行動をしてこない生き方をしてきたからか、辻さんのこの見解がとてもスッと入ってきます。

高校からずっとソフトボールで投手をやってて、常にマウンドに立っているときは孤独感を感じてきました。最も光が当たる花形ポジションである反面、その分必ず闇も深くなる場所でした。

自分のピッチングで、チームの勝敗の全責任を背負うことになる。
仲間は「ひとりじゃないから」「バックを信用して打たせろ」と言ってくれるけど、そんな激励の言葉も虚しくなるほど、逃げ出したくなる局面が必ず出てきます。「真っ向勝負」なんて言葉は、打者にとっての綺麗事なセリフでしかありません。

そのときなんでしょうね。

自分の実力や立ち位置が第三者的にはっきり見えて、自分がどうするべきか、どう立ち向かうべきか、どう正面から現実を向き合うべきか、はっきり見えてくるんです。

孤独を感じるからこそ、己を極限まで研ぎ澄ませて高みの場所へと押し上げることができるのだと。

そして、みんなの願いや想い、期待を一身に背負って、みんなの笑顔を観るための最大限の生産性の高い仕事(この場合は、ピッチングですが)をするために、ここで死んでもいいって割り切って己の限界をぶち破りに行く。それが最高の結果を生み出すのでしょう。社会に出て仕事をしても同じことなはずです。

今から10年以上前、塾を売却した際の売却先がそれまで順調に返済していた残りの借入金を全額踏み倒し、私は連帯保証人として被告で訴えられた案件を何件も抱え、毎回裁判所通いで法廷に立たされていた頃、自分にとっての黒歴史であり、人生で最も孤独を抱えていた時期でした。

友人も、信頼していた者たちも去っていき、誰にも相談できない状態で、仕事を求めてひとり街をさまよい続けました。身元保証人も立てることができず、親も協力を一切してくれなかったので(親からは「私の言う通り、公務員になっていれば、こんなことにならなかったんだ!」と吐き捨てられ)住むところも困って一時期は真夏の公園でホームレスとして過ごすしかなかった。

今の時代だったら、たぶんこのときの置かれた状況だけで自殺してしまう方も出るでしょうね。
ひどいのになると、100万くらいの借金で首を吊る方もいたみたいですし…。

私は、怖くて死ぬことができませんでした。首を吊る勇気が持てない。

そんな無気力な日々をひとりで過ごしていく中で、自分はどうこれからの人生に向き合っていくべきなのかを考える時間だけはたくさんありました。それが救いだったのかもしれません。

先述した通り、孤独な時間というのは、己自身の内面を深く見つめることができる時間であり、己の五感がどんどん研ぎ澄まされていくんです。

ものすごく嗅覚が発達し、チャンスを絶対に逃がさない…私はそのおかげで再起を果たすことができました。これは真の孤独を経験した者でなければ分からないかもしれませんね。

私の座右の銘に “Only is not lonely.” というのがあります。
ひとりというのは、決してさみしいものではないのだと。むしろ、ひとりになることでこれまで見えなかった鮮やかな景色が見えてくるようになる…そう感じています。

だから、孤独を経験したことがなく、常に誰かに囲まれて生きている人は、正直、中途半端な人生になって終わるのではないかと思っています(批判や非難を浴びるかもしれませんが、あくまで持論です)。

他人の目を気にする限り、己を五感を最大限に磨き上げることは難しいと思います。
受験勉強も同様で、己の孤独に打ち克った人ほど、良い結果を出しますよね。

勉強も、最後は孤独です。己の可能性を信じられるのは己だけ。
己の集中力を最大限に高め、独りの世界と時間に没頭し、最大限の生産性を生み出していく。

孤独に耐えられず、友だちと仲良く勉強とか言っている時点で、もはや己への敗北です。
もちろん、ときに切磋琢磨して競争することは大切だと思いますが、いつも誰かがいないと勉強できないというのは、己の「心」が弱すぎる証拠です。

そういった人は、社会に出ても上から押しつけられる仕事に愚痴を吐くだけ。
そこで孤独に打ち克った人は、確実に新しい価値を生み出す仕事を精一杯楽しんで遂行するでしょう。

私は、ウチの塾生たちにも、己の「孤独」と真剣に向き合い、そこから己の可能性を最大限に高めてほしいと願っています。だから、必要最低限以外のことは極力突き放すようにしています。

だから、ウチは意図的に「面倒見の悪い」塾にしているんです。

面倒見の良い塾の大半は、表面的な優しさだけが先行しているところばかりです(もちろん違う塾もあります)。そういった場所で、子どもに真の「自立」と「自律」を身につけさせるのは不可能に近いんです。

子育てがどんどん過保護になる風潮、子どもがまったく叱られたことのない時代、親が子どものご機嫌取り取りで叱れないこの時代の中で、私は敢えて世の中に疑問符を投げかけたいと思います。

本当に、子どもの成長を想うのであれば、しっかり突き放すべき局面があるということを。

そして、その局面を乗り越えたとき、子どもは過去に比類しないぐらいの劇的な成長を遂げることも。ひとりでも多くの親御さんに立派になったお子さんの姿を見てほしいと、心から願っています。

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