理由はないけど、続けていること…ムリ・ムダを論じる前にその大切な意味を知ってほしい。

12月に入り、寒さが一気に感じられるようになってきました。

先日、石川県金沢市を4年ぶりに訪問し、私が尊敬する塾長先生方の貴重なお話を聞いたり、教室見学をさせてもらったりと、AQURASがこれまで以上に塾生が結果を出しやすくする環境にするための情報収集を勉強させてもらっていました。年明けからアレンジをどんどん加えていければと思います。

今年の高3生は大学受験が全員終了しました。
ウチの塾からは初となる、一般の大学受験の概念では合格が厳しいとされる日本大学芸術学部に合格した塾生が出たことなど、ほぼ全員が中堅以上の大学に推薦・AO入試の合格を果たしたことは後日また綴ろうと思います。

今日は、私個人が思ったところを書こうかなと。

長く生きていると必ずだれもが1度はぶつかったことのある経験「理由はないけど続けていること」である『慣習』という考え方において。

仕事(学業も同じ)において、生産性という言葉のように、ムダなものを削減して経済的成果を効率よく生み出そうとするとします。ですが、TPOによっては古い慣習は合理化の中で消されてしまうことも多々あり、イノベーションを起こして新しい時代のやり方に固執される方もいらっしゃいます。

恐らくは、これまでのやり方を否定して新しい時代のカタチをつくり上げることで、周囲から認められたい、評価されたいという気持ちの表れというか、焦燥感もあるのかなと。(学業において言うなら、You tubeでの学びやICTのツールに固執するなど)

時代に即した新しい発想を取り入れるのは大切なこととはいえ、それだけに特化した発想での『慣習』だと、現況をマイナスに追い込んでいく可能性もあるのではないでしょうか。

不要な『慣習』を無くしていくというのは、机上の正論である反面、当事者である人間は存在しません。誰だって自身の今の生活スタイルを変えたくないでしょうし、事が上手くいっているときであれば尚更変化など必要ないとき嫌う方が大半ではないのかなと。

『慣習』というものは、アナログ的な非合理性が伴うものです。ですので、合理性だけで判断すれば、数多くの『慣習』が否定されてしまう反面、私であれば、非合理的だからといって「ムダである」とか「悪いもの」と断罪するものではないと答えます。

『慣習』における最高の効果というのは「、いつものリズム」「普段通りの流れ」を創ることだと私は考えます。

野球でもサッカーでもボウリングでも音楽でも芸術でも、プロとアマチュアの違いというのは、平均点が高いかどうかです。アマチュアでも運が良ければプロを上回ることもあるでしょうが、平均的に高いパフォーマンスを生み出すことはできません。

プロというのは、それなりの結果をいかなる状況でも出すからこそプロであるわけで、そのためにはどのような局面やモチベーションであっても「いつものリズム」「普段通りの流れ」を創っていかなければならないんです。

そのために必要なのが『慣習』というものではないのかなと。

『慣習』と聞くと、若年層になればなるほど受け付け難いと思うでしょうが、それを削ったことによる悪影響まで考えを及ぼすことは、正直、かなり難しいなと思いつつ…それでも、私は塾生たちに『慣習』の大切さがどれだけ結果を出すのに必要な考え方であるかを、しっかり伝えていこうと思う次第です。

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