自分の思い通りにならないことをすべて断罪してきた母親が、20年以上経って私を「褒めた」理由とは。


昨日で41歳になりました。
この業界に19歳で入ってから、もう何年経った?…って感じです(笑)。

せっかくのバースデーなのに、取引先との商談と、母親との食事なのか接待なのか分からない時間?で1日終わってしまいました…味気ないな(苦笑)。

バースデーくらい自分が良い思いをしたいと思いながら、結局は母親に良い思いをさせる日になったのが皮肉ですかね(苦笑)…これまで散々ブログにも書いてきましたが、私と母親は犬猿の仲を通り越して、関係性は最悪です。結構長く「絶縁」していましたので。

毒親だった母親に絶縁を突きつけて、20歳で飛び出して、そこから長く放浪してきた人生振り返りながら、いろんな葛藤を経て、今は老いた母親に毎月きっちり生活費も含めて仕送りをしながら、残りの人生、できる限りの親孝行をしておきたいと今は思います。

私と話が合うことは、ほとんどありませんでした。今でも自身の昭和初期の感覚と感情論を、平成が終わった令和の今でも強引に正当化して押しつけてきます。

自身が世の中で最も正しいという見解は、昭和の母子家庭への偏見が横行したツラい時代に、父親と母親の1人2役を兼ねて闘ってきた男勝りしている私の母親独特の哲学だろうし、それぐらい強くなければ生きてこれなかった背景があったからでしょう。

孤独だった母親には、ほとんど友人はいませんでした。
近寄ってくる男性には、みんな論破して潰して追い返していましたから…そのあまりの激しさと強さは小学生だった私には恐怖であると同時に、その強すぎる攻撃性は、ある意味では一目置いていました。

私も若い頃は、かなり攻撃性の強い性格でした。
ある意味、母親譲りであり、この親にしてこの息子といった感じだったかもしれません。塾でも武闘派を自認&他称されてましたし、おかげで生徒からナメられることもなく(笑)…。

私と今でもつながっている教え子たちからは「恐怖だった」「あまりにも恐い先生だった」「ナメたこといったら、間違いなく半殺しにされる…」というお墨付きとはいえ、ことごとく結果を出させまくっていたので、表面だけでなく内面をしっかり見ていてくれた教え子たちは、今でもこうしてついてきてくれていることに感謝させられる日々です(笑)。

ただ、叱るというのは(若い頃は怒るでしたがw)親御さんならご存知の通り、大変なエネルギーと精神力を必要とします。なので、私も歳を重ねていく中で年々下がっていく気力と熱量に対して、叱らなくても真っ当な子に育つ子育てのやり方を模索してきました。

おかげであちこちからセミナーや講演の依頼が入り、正直あまり乗り気ではないもの含めて(笑)、世の中の親雄さんが子育てで不要なエネルギーを使わずに、自身の好きなことややりたいことにそのエネルギーを使えて幸せな人生を歩める方を少しでも増やせたらと、お受けしています。結果、たくさんの方から再度実施してくれとご依頼を頂戴しています。

私自身も変わっていく中、ウチの母親だけは時代の流れがあっても変わることなく、ある意味で「初志貫徹」してますね。初志貫徹は、私の戦闘服の裏面記載でもある座右の銘なんですが…やはり血は争えない(笑)。

昨日の夜は、母親が好きな寿司で、私が飛び出すまでの20年間を労う感じで食事でしたが、25年くらい聞いたことのない母親からの、まさかの褒め言葉が…(笑)。

「私がずっとなれと言っていた公務員にならなかったのは、今でも許せない。私が絶対に認めない塾なんて職業でずっとやってくるとは…でも、塾でこうして20年以上ずっとやり通して続けてきたのは、さすがに凄い。それは認める。よくやってきたと思う」

と、塾業界で頑張って子どもたちの指導に明け暮れる関係者に対してパワハラや暴言満載ですが、自分の思い通りになることしか褒めなかったこの母親が、言葉を濁しながらも私のこまでの生き様を認めてくれたのが意外だったというか、それなりに私も思うところがありましたね。

決裂し、絶縁していた時期もあったけれど、育ててくれた恩は感じています。なので、私なりにできることは、これからもしていこうと思った私のバースデーでした。

いや、バースデーなんだから、私が祝われたいんですけど…何で会計も私なんですか?(苦笑)



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